おそらく多くの人が感じていることだろうが、ビートルズの楽曲にはフェミニンな一面がある。もちろん、ジョン・レノンのシャウトはロックンロールのそれだし、楽曲のベースには、初期はもちろん、後期にいたってもブルースやR&Bへの忠誠を孕んでいると言っていい。だが、そのメロディにどこか甘さと気品が宿っているように、その歌詞の発語感がとても優美なように、女性が口にするとむしろ原曲のイメージにより近づけるのではないか、とさえ思えるような瞬間が実に多い。実際に、タイトルに「SUN」(太陽)を埋め込んだ曲が多いのも大地に根をしっかりと下ろす母のイメージを喚起させるし、「ジュリア」「グッド・ナイト」などといった曲は女性の優しさと強さに無条件に降伏するしかない男性からのリスペクトのようでさえある。それはおそらく男性諸氏からすれば、膝枕の歌、すなわちララバイということになるのではないか。そして、女性からすれば、あるいは「ヤー・ブルース」や「ドライヴ・マイ・カー」といったハードエッジな曲でさえ、包容力を刺激されるに十分なナンバーなのではないか。そんな風に思うのだ。
本作『りんごの子守唄』はそんな思いを新たにさせられる1枚だ。ここで歌声を聴かせているのは女性ばかり。まだ青き果実のような女性もいるし、中には実際に母となっている女性もいるし、何よりヴォーカリストとして日頃歌っている曲がそれぞれまるで違う。名前だけ見れば、それこそ個性のぶつかり合いの場となるような杞憂すら抱いてしまうだろう。だが、不思議なことに、ここでは参加しているアーティストたちが、一つの統一されたトーンのもとで大らかでたおやかな輝きを放っている。ビートルズ・ナンバーを通して知らず知らずのうちに自身の母性を開花させているのではないか、とさえ思えるほど、女性たちは歌と一つになり、歌は女性たちの声に寄り添い、聴き手の耳に脳裏に体中に入り込んでいこうとしている。歌の先にあるのが、あなたであり私であり、眠れぬ夜を過ごすすべての人々であるかのような、まるで砂漠の宵の空中に彷徨う鎮魂歌。ラストに収録されたアン・サリーによる「Goodnight」まで辿りついた時、私はこれが世界中知らぬ者などいないビートルズ・ソングをとりあげた作品であることをすっかり忘れていた。
本作の監修、プロデュースを全面的に担当したのは鈴木惣一朗。すべて彼の一存で参加アーティストたちが選ばれ、アレンジや演奏が組まれていった。「これはカヴァー集やトリビュート盤ではない。ララバイ集だ」という鈴木。しかし、ここでのトーチ・ソングにも似た子守唄を聴かせる彼女たちを前にして、果たして鈴木自身は穏やかな眠りにつけるのだろうか。少なくとも私は、空高く誘われそうなこんな甘美なビートルズ・ソングを前にして黙って眠りにおちるなんて、とてもとてももったいなくてできそうにない。
2005年8月
岡村詩野
「Here
Comes The Sun」
69年9月に発表された『アビー・ロード』に収録されているジョージ・ハリスンの代表曲。歌うのは、ソロ・シンガーとしてはもちろんのこと、ポート・オブ・ノーツでの活動でもお馴染み畠山美由紀。オルゴールのようなチェレスタの音色と、北の大地を想起させる彼女の歌い方との融和が美しい。マヘリア・ジャクソンやベッシー・スミスのようなゴスペル・タッチを狙ったかような仕上がり。
「Across
The Universe」
70年5月リリースの『レット・イット・ビー』に収録された、ジョン・レノン屈指のスピリチュアルなバラード・チューン。歌うのは、アメリカでの生活経験も豊かなchie。04年にセルソ・フォンセカのプロデュースでデビュー、本格的なブラジル音楽に挑戦する若き歌姫である。空中を散歩しているようなオブスキュアな歌声が、この曲の持つ大らかさとピタリ合っている。旧友というイノトモもコーラスで参加。
「Julia」
68年にリリースされた『ザ・ビートルズ』(通称“ホワイト・アルバム”)に収録
された、ジョンによるアシッド・フォーク・チューン。歌うのはイノトモ。もともとシンガー・ソングライターとして高く評価されてきたが、元BENZOの平泉コージと結婚、出産してからは、より素顔に近い歌声を披露するようになっている。もともと本作の企画がある前から一人でデモ録音したことがあったそうで、本人もかなり体に染み込ませた歌い方をいているのがわかるだろう。
「Yesterday」
何はなくともビートルズで最も有名なナンバー。オリジナルは65年8月リリースの『HELP!
4人はアイドル』に収録されている。アン・サリーは類稀な表現力を持つ歌い手であり医者でもあるという、“天はニ物を与えず”をくつがえす才能豊かな女性。
高田漣によるペダル・スティールが原曲の弦楽四重奏部分をそのまま担当し、そこに少々のアルペジオを加えただけのシンプルなアレンジが彼女の凛々しい歌声を引き立たせている。
「I
Will」
『ホワイト・アルバム』に収録のポール・マッカートニーらしい小品。ベース・パートをポールが口でなぞっているというエピソードが有名だろう。原田郁子はクラムボンのヴォーカルとしてのみならず、ハナレグミやASA-CHANGなど多くのアーティストの作品で客演する売れっ子。昨年発表されたソロ・アルバムでは、まさにこの「I
Will」にも似た普段着感覚のナチュラルな歌声も聴かせてくれた。少女が酔っ払ってクダを巻いているようなヴォーカルが可愛らしい。
「Sun
King」
『アビー・ロード』の、アナログで言うB面部分のメドレーの2曲目に登場する小品。かなりマニアックな選曲だが、ビートルズ・ファンの間では根強い人気を誇る隠れた名曲である。歌うのはnoon。デビューしてまだ2年ほどだが、既に貫録と可憐さとを合わせ持つジャズ・シンガーとしてブルー・ノート界隈で人気を獲得している。ゆるやかな輪舞に乗ったとらえどころのない歌声には原曲以上の広がりが。
「In
My Life」
65年12月にリリースされた『ラバー・ソウル』に収録されたバロック風ナンバー。
この曲とM-12の「I'll
Follow The Sun」のみ、特定のヴォーカリストを迎えずにインストゥルメンタルでしあげられており、言わばインタールード的な役割を果たしている。ここでは田村玄一のスティール・パンによる主旋律とストリングスとの折り合いがミスマッチな面白さを醸し出している。
「Ask
Me Why」
63年3月に発表された記念すべきファースト・アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』に収録されている、本作でとりあげられた13曲中最も“若い”ビートルズ・ナンバー。これに挑んだのは、03年に結成されたボサ・ノヴァ・トリオのボファーナ。リトル・クリーチャーズが主宰するレーベル、コーディアリーからアルバムをリリースしている。
もともとこの曲はビートルズの中でもラテン・テイストを秘めたナンバーだが、安直なボサ・ノヴァ・アレンジに終始することなく、その重厚かつ涼やかなコーラスを生かした初々しい仕上がりになっている。
「Dear
Prudence」
ビートルズ通の間でも人気の高いのがこの『ホワイト・アルバム』の2曲目に登場するサイケ調ナンバー。「Back
In The USSR」のエンディングにかぶさるようにしてスタートするオリジナルは何度聴いてもそそり立つくらいカッコいい。そして、この難曲に挑むのはエゴ・ラッピンの中納良恵。何を歌っても自分のモノにしてしまう天性のマジックを持った魂のシンガーだ。ジョンの持つブルージーな感触と中納の持つドロリとしたブルーズ感覚とが見事重なり合った奇跡の仕上がり。リトル・クリーチャーズの青柳拓次が参加している。
「Honey
Pie」
こちらも『ホワイト・アルバム』収録のスウィング・ジャズ色濃いナンバー。ポールらしいおどけたボードヴィル・タッチが印象的な小品だ。歌うのは、沖縄出身の首里フジコ。パフォーマンス・ダンス・グループ“女体体操”のリーダーでもある。
Saigenjiをゲストに迎えたデビュー・アルバムでは、スタイルにとらわれない無国籍な心地よさを伝えてくれた。ウクレレを効果的に用いて南国風味を盛り込んではいるが、息を吸い込む音までもを拾ったオープニングに始まり、全体的に首里の生々しいヴォーカルに焦点を当てているのがいい。原曲でもSP盤のノイズを生かした部分があるが、ここでもちょっとアナログ・タッチを抽出した味わいがほどこされているということか。
「Because」
『アビー・ロード』収録の、多重録音のコーラスがあまりにも美しいナンバー。そして、声の響きに最も気を配るだろうこの曲で登場するのは、今最も話題の新人シンガーと言える湯川潮音。鈴木自らプロデュースをつとめたアルバム『逆上がりの国』を経て、この夏ついにメジャー・デビューを果たした。癒しとか和みとは対極の、揺らぎのない強ささえ感じさせるヴォーカルが魅力の彼女だが、ここではその声を生かすべく、堂々とシングル・ヴォイスで聴かせるアレンジで挑戦。マイク・オールドフィールドの『チューブラーベルズ』にも負けないホラー色強い素晴らしい仕上がりになった。
「I'll
Follow The Sun」
64年12月発表の『Beatles
For Sale』に収録されているポール初期の代表曲。ここでもインタールード的にインストゥルメンタルで料理している。ジョン・レノンが初めて褒めてくれた曲、というエピソードをポール・マッカートニーはいまだに大切に胸に秘めながらこの曲を自身の最新ツアーでも披露。そんな微笑ましい話に鈴木惣一朗も心を動かされてこの曲をとりあげたのだろう。
「Goodnight」
そして最後は『ホワイト・アルバム』の最後を飾る、ララバイ集にはふさわしい1曲。再びアン・サリーが登場し、アルバムを静かに終えていく重責を果たした。ちょうど彼女が出産直後だったため、この曲のみ名古屋でレコーディングしたそうだが、母になったばかりの彼女のやや戸惑いを孕んだ歌い方が、“おやすみ”と語りかけていくこの曲に新たな息吹を吹き込んでいる。“Dream
Sweet Dreams For You”というくだりは、本作を手にするすべてのリスナーへと向けられたささやかな贈り物のようだ。